49.1P1P
49.1P1P
品質を確保すると同時にコストを削減する方法が、製造工程を標準化することであったことをご存知でしたか?
そのため、2013年にオートリブは1P1P(1つの製品、1つの工程)と呼ばれるものを導入しました。その典型例として、中国江蘇省の火薬(推進剤)工場があります。これはアメリカ ユタ州プロモントリーのものと全く同じものです。
Image:ユタ州のエアバッグ工場(2019年)
50.中国の火薬(推進剤)工場
50.中国の火薬(推進剤)工場
オートリブが、2013年中国に火薬(推進剤)の新工場を建設した際に、アメリカユタ州のプロモントリーにある工場と全く同じものにしたのをご存知でしたか?
オートリブは、プロモントリー工場と同じサプライヤー、同じ図面、全く同じ配置を採用したのです。成功の秘訣となったのが、プロモントリーと中国の従業員間の技術・知識移転でした。また、この事業は当時のオートリブ史上最大の投資でもありました。
Image:2013年中国江蘇州火薬(推進剤)工場の落成式にて喜ぶ面々
51.2011年の大幅な回復
51.2011年の大幅な回復
自動車産業が2008年~2009年の不況後、2011年に大幅回復を遂げたことをご存知でしたか?
この年最高記録となる7,200万台もの車が製造されました。オートリブにとっても、現在までで最高の年になりました。
Image:2010年代、オートリブは製品開発に多額の投資を実施。こちらは、ユタ州の従業員2名がシートベルトの耐久性・抵抗力を試験している様子。
52.電子機器2
52.電子機器2
2000年代初期に電子機器の重要性が高まったことで、この分野でいくつもの買収が行われたことをご存知でしたか?
その1つ目が、2002年に行われたフォードから分社化したVisteon Restraint Electronicの買収です。
Image:PSS1(バッテリーディスコネクトスイッチ)はECUによって作動する装置で、スタータージェネレーターケーブルを電子システムから分離させるために使用します。
53.オートリブの株式
53.オートリブの株式
2008年~2009年の不況時、オートリブは事業を回復させるために、株主からより多くの出資を必要としたことをご存知でしたか?
結局それにより、オートリブの株式のより多くが、スウェーデン企業の所有となり、アメリカ企業の所有分が少なくなりました。
Image:2008年~2009年の不況時、オートリブは協力関係の新たな概念を生み出しました。
54.Q5
54.Q5
2008年~2009年の不況後、オートリブアメリカで品質問題が発生したことをご存知でしたか?
これを受け、当時のCEOのヤン・カールソンが主導して、「Q5」という品質に関する考え方が導入されました。Q5とは、品質を五角形で象徴する5つの重要な側面で考えるというものでした。五角形の面は、それぞれ組織の行動、成長、顧客、製品、サプライヤーを表していました。プログラム導入のため、大規模なトレーニングと情報周知が行われました。
Image:五角形で視覚化した品質に関する考え方(現在のロゴ)「Q5」
55.初めてのサイドエアバッグ
55.初めてのサイドエアバッグ
初のサイドエアバッグは、1994年にボルボ850に供給開始されたことをご存知でしたか?
これにより、ボルボが世界に先駆けてこの新技術を提供することになりました。さらに、サイドエアバッグは販売面で大成功をおさめました。2012年までに、オートリブはこのタイプのエアバッグを5億個供給しました。
Image:1994年、サイドエアバッグの広告写真。
18. 「衝突安全の父」
18. 「衝突安全の父」
ハンガリー出身のエンジニア兼発明家のベラ・バレニーは、「衝突安全の父」とよく言われていたのをご存知でしたか?
彼は、衝突時の安全確保のための車の構造の大切さに着目した最初の人物でした。彼は、「デフォーメーションゾーン」
早くも1930年代に)や「コラプシブルステアリングコラム」、「ノンデフォーマブルパッセンジャーセル」を考案し、その全てが保護性能の向上につながりました。1994年、バレニーは「自動車殿堂入り」を果たしました。
Image:1965年ドイツでのKlippanシートベルトPR。Klippanは後にオートリブと合併。
17. パイロットのためのシートベルト
17. パイロットのためのシートベルト
航空宇宙産業がシートベルトのパイオニアだったのをご存知でしたか?
衝突や死亡・負傷事故の多さから、管轄当局は、本格的な生体力学的研究に取り組み始めました。その一例が、ニューヨーク北部のコーネル大学でのCIR(衝突傷害研究)です。この大学で、パイロット用シートベルトに関する初の研究が1953年に発表され、その研究結果は多くの注目を集めました。
Image:1966年ドイツでのKlippanシートベルトPRに参加する無名スタントマン。Klippanは後にオートリブと合併
16. 安全に対するアメリカの考え
16. 安全に対するアメリカの考え
クルマの安全性は、1960年代までアメリカでは特に課題になっていなかったことをご存知でしたか?
1965年に、若き弁護士ラルフ・ネーダーが世界的ベストセラーとなる『いかなるスピードでも自動車は危険だ(Unsafe at any speed)』を出版すると、同書は、シボレー・コルヴェアに対する批判でよく知られるようになりました。しかし、ネーダーはアメリカの安全性に対する価値観そのものをも批判したのです。この非難により、厳格な製造物責任と多額の罰金が今後生じるかもしれないと気付いたクルマメーカーのリスク評価が変わりました。保険会社もこの問題に関心を示しました。自動車事故は、毎年500億ドルの損失を社会にもたらしていると言われていたのです。1966年に、アメリカ合衆国議会が新たに「米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)」を設立し、当局がこの問題を管轄することになりました。
Image:ラルフ・ネーダーの写真
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