25. 諮問委員会

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25. 諮問委員会

オートリブが、1984年に諮問委員会を立ち上げたのをご存知でしたか?

委員会は現在も存続しています。諮問委員会のメンバーには、世界的名外科医で交通安全学教授のバーテル・アルドマンなど、スウェーデンの国内外で活躍する交通安全学や自動車工学、生体力学(つまり、人間の体がどんな力に耐えられるか)の専門家や研究者が名を連ねました。

Image:1999年の諮問委員会

24. グンナー・バーク

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24. グンナー・バーク

1980年代から90年代にかけて、オートリブが実現した大きな功績の立役者だったグンナー・バークは、スウェーデン国立防衛研究所のリサーチエンジニアとしてキャリアをスタートさせたのをご存知でしたか?

彼は、のちにオートリブの社長兼CEOをなんと3期も務めています。

Image:オートリブとMorton ASPが合併した1997年のグンナ―・バーク

23. Evert Larsson Industri

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23. Evert Larsson Industri

1979年に競合相手であるEvert Larsson Industriを買収したことで、ついにオートリブはスウェーデンの自動車メーカーのボルボとの取引の足掛かりを得たのをご存知でしたか?

それ以前のオートリブの顧客は、海外の自動車メーカーでした。

Image:1959年のボルボ自社製V型安全ベルトの装着時の様子

22. AMCA

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22. AMCA

1970年代後半、オートリブは買収を通じて急成長したのをご存知でしたか?

収益は6年で60%以上増加。この買収の一つが、フランスの会社AMCAでした。AMCAの買収により、フランス市場におけるオートリブのシェアが10%から16%へと増加しました。

Image:フランスの施設でのステアリングホイール(ハンドル)製造の様子。1970年代頃、撮影者不明

21. エレクトロラックス

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21. エレクトロラックス

オートリブは、かつて家電の多国籍企業であるエレクトロラックスの一部だったのをご存知でしたか?

1980年、エレクトロラックスがオートリブを含むGränges全体を買収したのですが、オートリブはグループ内ではどちらかというと異質な存在だったため、非常に独立した役割を与えられました。

Image:9年後に開催されたヨーロッパでの展示会の様子、撮影者不明

20. Grängesの狙い

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20. Grängesの狙い

Grängesは1972年に、北欧でトップのオートマティックシートベルトの一括請負メーカーとなり、加えて英国と西ドイツでも重要なポジションを築くことを目標に掲げたのをご存知でしたか?

しかしこの戦略は実現できず、代わりにGrängesは、真のシートベルトメーカーとフルサービスサプライヤーになるため、1975年にヴォーゴーダを拠点としたベルトメーカーのオートリブを買収します。当時、全生産の5%にあたる、5,000個の「エッセムロール」と呼ばれるリトラクターが同社に既に納品されていました。

Image:1975~1976年オートリブ社製シートベルト生産施設内部の様子

19. なぜシートベルトを着用しなかったのか?

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19. なぜシートベルトを着用しなかったのか?

当時シートベルトは多くの傷害や事故を防ぐことができたのも関わらず、多くの人がシートベルトを使いたがらなかった理由をご存知でしたか?

その理由の一つが、シートベルトのせいで体の動きが制限されると感じたからです。例えば、シートベルトを着用したままだとグローブボックスに手が届きにくかったことが挙げられます。こうした問題が、巻き取り式シートベルトという新たな発明へとつながりました。1964年には既に、英国のBritaxとKlippan GmbH(スウェーデンのKlippanグループのドイツ子会社)が急ブレーキを踏んだ際に作動するリトラクター付きベルトを開発。英国のKangolも同様のベルトテンショナーを製造していました。同じ時期に、スウェーデンの都市ハルムスタッドを拠点としたNyhems Mekaniskaが「セーフ(Safe)」というリトラクターを発売しました。

Image:1964年式Klippan・Britax社製リトラクター

30.オートリブメキシコ

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30.オートリブメキシコ

1990年代前半、オートリブはメキシコでの製造を開始したのをご存知でしたか?

日本のNSKとともに、合弁会社「NSK-Autoliv」を立ち上げ、ティフアナに工場を新設しました。1991年9月、アメリカ市場向けの自動車用電動式シートベルトをメインに生産が開始しました。

Image:メキシコ・ティフアナの工場。2013年に撮影。撮影者不明

31.ユタでのロケット試験

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31.ユタでのロケット試験

Thiokol(後のMorton Thiokkol)がアメリカのユタ州に落ち着いたのは、この無人の砂漠地帯がロケットの試験に最適だったからなのをご存知でしたか?

1950年代中頃のある日、会社の代表たちがユタ州に赴き、その可能性を模索しました。若い農家の息子だったケン・ホルムグレンは、プロモントリー(Promontory)とブリガム・シティ(Brigham City)の間を走る道路にたった1件だけ酒場があり、そこにきっと代表たちが足を止めることを知っていたため、彼らに会うために酒場に向かいました。後はご存知の通りです。

Thiokolはその地に拠点を構え、ホルムグレンは後に社長、そしてMortonとThiokolの合併後にはMorton ThiokolのCEOに就任しました。

Image:アメリカ・プロモントリー地域。1990年~1994年の間に撮影。撮影者不明。

32.モートンのガス発生器

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32.モートンのガス発生器

Morton Thiokolは1970年代初めには、既にエアバッグ用ガス発生器の大手メーカーだったのをご存知でしたか?

ガス発生器の開発は、ロケット燃料を扱ってきた当社の歴史に根付くものです。ここから、エアバッグ全体の製造へと発展していきます。1989年、会社は2つに分割され、Morton ASPが自動車安全市場に特化することになります。

Image:エアバッグ内の点火装置。2014年に撮影。撮影者不明。