55.初めてのサイドエアバッグ
55.初めてのサイドエアバッグ
初のサイドエアバッグは、1994年にボルボ850に供給開始されたことをご存知でしたか?
これにより、ボルボが世界に先駆けてこの新技術を提供することになりました。さらに、サイドエアバッグは販売面で大成功をおさめました。2012年までに、オートリブはこのタイプのエアバッグを5億個供給しました。
Image:1994年、サイドエアバッグの広告写真。
18. 「衝突安全の父」
18. 「衝突安全の父」
ハンガリー出身のエンジニア兼発明家のベラ・バレニーは、「衝突安全の父」とよく言われていたのをご存知でしたか?
彼は、衝突時の安全確保のための車の構造の大切さに着目した最初の人物でした。彼は、「デフォーメーションゾーン」
早くも1930年代に)や「コラプシブルステアリングコラム」、「ノンデフォーマブルパッセンジャーセル」を考案し、その全てが保護性能の向上につながりました。1994年、バレニーは「自動車殿堂入り」を果たしました。
Image:1965年ドイツでのKlippanシートベルトPR。Klippanは後にオートリブと合併。
17. パイロットのためのシートベルト
17. パイロットのためのシートベルト
航空宇宙産業がシートベルトのパイオニアだったのをご存知でしたか?
衝突や死亡・負傷事故の多さから、管轄当局は、本格的な生体力学的研究に取り組み始めました。その一例が、ニューヨーク北部のコーネル大学でのCIR(衝突傷害研究)です。この大学で、パイロット用シートベルトに関する初の研究が1953年に発表され、その研究結果は多くの注目を集めました。
Image:1966年ドイツでのKlippanシートベルトPRに参加する無名スタントマン。Klippanは後にオートリブと合併
16. 安全に対するアメリカの考え
16. 安全に対するアメリカの考え
クルマの安全性は、1960年代までアメリカでは特に課題になっていなかったことをご存知でしたか?
1965年に、若き弁護士ラルフ・ネーダーが世界的ベストセラーとなる『いかなるスピードでも自動車は危険だ(Unsafe at any speed)』を出版すると、同書は、シボレー・コルヴェアに対する批判でよく知られるようになりました。しかし、ネーダーはアメリカの安全性に対する価値観そのものをも批判したのです。この非難により、厳格な製造物責任と多額の罰金が今後生じるかもしれないと気付いたクルマメーカーのリスク評価が変わりました。保険会社もこの問題に関心を示しました。自動車事故は、毎年500億ドルの損失を社会にもたらしていると言われていたのです。1966年に、アメリカ合衆国議会が新たに「米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)」を設立し、当局がこの問題を管轄することになりました。
Image:ラルフ・ネーダーの写真
15. 「エッセムルーレン」リトラクター
15. 「エッセムルーレン」リトラクター
レナート・リンドブラッドは1975年に自分の会社オートリブをGränges Wedaに売却したのをご存知でしたか?
Gränges Wedaは巨大なGrängesグループの一部で、このグループは長年、大手鉄鉱石算出業としての地位を占めていましたが、当時は既に「非鉄金属」を扱う複数の事業体からなるコングロマリットへと成長していました。1969年、GrängesはSvenska Metallverkenを買収して、Wedaをグループ傘下に収めました。Wedaは、いわゆる「エッセムロール」というシートベルトのリトラクターを製造していたため、オートリブの事業は戦略上重要な補完事業となっていたのです。
Image:1967年有名な「エッセムルーレン」リトラクター
14. パイロット レナート・リンドブラッド
14. パイロット レナート・リンドブラッド
レナート・リンドブラッドはパイロット免許を取得し、飛行機を持っていたのをご存知でしたか?
ヴォーゴーダからドイツの会社への出張には、自分で飛行機を操縦していました。実はこの飛行機はフロイド・パターソン戦で世界タイトルを獲得したスウェーデン出身のボクシング世界王者のインゲマル・ヨハンソン(愛称:インゴ)から買い取ったものでした。
Image:1972年レナート・リンドブラッドの飛行機、Piper Aztec SE-EOZ
13. AutoLIV and Life
13. AutoLIV and Life
1960年代に入り、レナート・リンドブラッドは社名をLindblad AutoserviceからAutolivに変更したのをご存知でしたか?
「liv」(英語で「life(命)」)は「life(命)」と何らかの関係があると思う人もいるかもしれませんが、実際は全く関係ありませんでした。以前から営業活動時に「Lindblad’s in Vårdgårda(ヴォーゴーダのリンドブラッド)」の略語として「LIV」を使っていたのです。
Image: 1960年頃のオートリブの3点式ベルト
12. 3点式シートベルト
12. 3点式シートベルト
2点式ベルトでは滑り出てしまう危険があることを分かっていたレナート・リンドブラッドは、3点式シートベルトを早くから提唱していたのをご存知でしたか?
しかしクリッパンのBröderna Ottosson & Coが1957年に3点式シートベルトの特許を申請し、1961年に承認されました。1965年にLindblad Autoservice ABが、Bröderna Ottossonの申請以前にサーブのラリーカーが3点式シートベルトを使用していたことを証明できると、特許は無効になりました。
Image:Klippannとオットソン兄弟による1953年ハーネスベルト。Klippannは後にオートリブと合併。
11. ボルボ
11. ボルボ
ボルボは、車の標準装備としてシートベルト、特に3点式ベルトを導入したパイオニアだったのをご存知でしたか?
ニルス・ボーリンはシートベルトを開発したボルボのエンジニアでしたが、実際のコンセプトを生み出したのはボルボではありませんでした。シートベルトは既に存在していたのです。ファールンの医師スティグ・リンドグレンは、「ヴァッテンフォール型」シートベルトを開発したヴァッテンフォール安全対策チームの医療顧問を務めていたことがあり、ボルボの取り組みにおいても重要な役割を果たしました。彼は医師として、交通事故の多くの事例を見てきました。ボルボは、スウェーデンの別のクルマメーカーであるサーブとともに、車の安全性においてスウェーデンが国として明らかにリードすることに大きく貢献しました。
Image:オートリブとKlippanによる2種類のモデルの3点式シートベルト。「Giugiaro」は「Noramale」と同様でしたが、特殊なモダンなラインが入った高価な布を使っていました。
10. Klippangruppen
10. Klippangruppen
Lindblad Autoservice ABが、1950年代、60年代にシートベルトに投資したスウェーデン唯一の会社ではなかったことをご存知でしたか?
他にも後に「Klippangruppen」で知られるクリッパンのBröderna Ottoson & Coが1956年に、自社の馬具店でヴァッテンフォール向けに2点式ベルトの製造を開始しました。クンゲルフのEvert Larsson Industriも1963年に参入します。様々な会社が、2点式ベルトの欠点(運転手が滑り出る可能性があること)に対し、航空宇宙産業から着想を得た3点式ベルトの様々なアイディアを持って挑戦しました。この会社(Klippangruppen)は、1963年にボルボが全ての商品でシートベルトを標準装備した時にボルボに実際のベルトを納品しています。
Image: ドイツ・レリンゲンのAutoflag。Autoflagは後にオートリブが買収。