33.日本におけるモルモン教徒

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33.日本におけるモルモン教徒

日本市場におけるMortonの成功には、モルモン教徒の社員が大きく貢献していたのをご存知でしたか?

ユタ州には、布教活動中に日本語と日本文化を学んだ、教養が高く言語に精通した男性が多くいたのです。こうした特性が、会社に高い競争優位性を与えました。

Image:1994年ユタ州の社員たち。撮影者不明

34.オートリブの新規株式上場

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34.オートリブの新規株式上場

1994年6月9日にオートリブが株式を上場したのをご存知でしたか?

これによりエレクトロラックスグループを脱退し、独立企業となりました。新規株主の大部分は海外の資産運用会社でした。最初の1年で株が60%も値を上げたので、彼らにとっては良い買い物と言えましょう。

Image:この広告写真はオートリブが上場したのと同じ1994年に公開。撮影者不明

35.インフレ―タブルカーテン

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35.インフレ―タブルカーテン

1995年5月に、オートリブのエンジニアたちが顧客のメルセデスに全く新しい革新技術を紹介したのをご存知でしたか?

この発明は、一部、オートリブの研究部門長ユングヴィ・ハーランドによる側面衝突に関する研究結果をもとにしたものでした。側面からの衝撃に対して保護するこの画期的技術は、「インフレ―タブルカーテン」と呼ばれ、大成功しました。この技術は多くの命を救い、重傷を防ぎ、オートリブのその後の開発において大きな役割を果たしました。

Image:ユングヴィ・ハーランドと「インフレ―タブルカーテン」の試作品。1990年代に撮影。撮影者:レナート・リーンマイン

36.女性の土木技師

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36.女性の土木技師

女性の土木技師がオートリブの生産システムの原動力の一つであることをご存知でしたか?

1990年代後半、リサ・フラリーがいわゆるトヨタモデルをオートリブに導入すべく尽力しました。

Image:リサ・フラリー(1990年代)

37.オートリブとMorton ASP

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37.オートリブとMorton ASP

オートリブとMorton ASPが1998年に合併した時、それは異例の成功を収めた合併だったのをご存知でしたか?

ユタ州とヨーロッパの従業員は、難なくチームとして結束して協働することができました。

Image:1991年Morton国際HYGEインパクトスレッド施設の建設

38.元CEO ラース・ウェスターバーグ

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38.元CEO ラース・ウェスターバーグ

1990年代終わりに、オートリブの競合他社から積極的な価格圧迫を受けたのをご存知でしたか?

当時の新CEOのラース・ウェスターバーグの課題はコスト削減でした。これにより生産は、高品質を維持できる低コストの国に徐々に移されるようになりました。

Image:元CEO ラース・ウェスターバーグ(1999年)

39.ステアリングホイール

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39.ステアリングホイール

2000年代初頭に、ステアリングホイールが重要な製品になったのをご存知でしたか?

顧客はエアバッグがすでにステアリングホイールに組み込まれている完全なシステムを求めていました。そのため、オートリブはこの分野でいくつかの買収を行いました。

Image:エアバッグ内蔵ステアリングホイールの例(2006年頃)

40.電子機器1

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40.電子機器1

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、電子機器がますます重要な分野になったのをご存知でしたか?

とりわけ、オートリブはサーブの子会社であるスウェーデンのCombitechとのコラボレーションを開始し、フランスのSagemを買収しました。

Image:サーブ9000エアバッグの最終製品(1991年)

41.中国のオートリブ

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41.中国のオートリブ

オートリブが中国で製造を開始したのは、1980年代半ばからだったことをご存知でしたか?

しかしこれが実際に成功したのは、2000年代初頭になってからです。上海のウェビング工場は当時世界最大の規模を誇っていました。

Image:南京、上海の施設のオートリブスタッフ(1990年)

42.持続可能な未来

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42.持続可能な未来

オートリブが2008年から2009年にかけての金融危機で大きな打撃を受けたのをご存知でしたか?

人員の約25%を解雇せざるを得ませんでした。しかし比較的早く回復することができました。

Image:その当時のCEOは持続可能な未来創造のため、人員を大幅に削減するという困難な課題を抱えていました。